ニュースの概要
DHL Groupは、2030年戦略の一環として、今後5年間にアジア太平洋地域のヘルスケア物流へ5億ユーロを投じると発表した。使い道は、複数の温度帯を扱える医薬品ハブの新設、既存拠点の冷却設備の増強、温度管理つき車両の追加、保冷用の梱包材の改良などである。背景にあるのは、臨床試験やバイオ医薬品、細胞・遺伝子治療の広がりだ。インスリンのような冷蔵品に加え、幹細胞や一部のmRNAワクチンのように、氷点下の極めて低い温度を保ち続けなければならない荷物が増えている。物流会社が設備に大規模な先行投資を決めたことは、需要の質が変わったことの表れといえる。
引用元: DHL、アジア太平洋のヘルスケア物流に5億ユーロを投資、低温・超低温輸送能力を拡大(BioSpectrum Asia)
分析・見解
「冷蔵」から「超低温」へ、荷物の難易度が上がった
医薬品の輸送は、長いあいだ2〜8度の冷蔵が中心だった。インスリンや多くのワクチンはこの範囲で足りた。ところが細胞・遺伝子治療では、マイナス80度やマイナス150度といった世界が日常になる。一部のmRNAワクチンも同様である。
温度が低くなるほど、失敗の代償は大きくなる。細胞治療は患者一人ひとりに合わせて作られるため、一つの荷物が一人分の治療そのものになる。ドライアイスの補充が数時間遅れただけで、数千万円規模の薬が使えなくなることもある。
5億ユーロは「倉庫」より「待ち時間」を削る投資
この投資で見逃せないのは、金額の大きさよりも、ハブと呼ばれる中継拠点を増やす点である。温度管理の最大の弱点は、飛行機の中ではなく、空港や倉庫で荷物が待たされる時間にある。
荷物は積み替えのたびに外気にさらされる。そこで、温度帯ごとに仕分けできる専用の中継拠点を持ち、到着から次の便に乗るまでの待ち時間を短くする。これが品質を守る一番の近道になる。新型コロナの時期には、ワクチン用の超低温保管庫が世界的に足りなくなった。あのときの教訓が、設備投資の形で表れていると見てよい。
保冷箱と冷却つきコンテナ、二つの方式の使い分け
梱包には大きく二通りある。電源を使わずに保冷材だけで温度を保つ方式(パッシブ)と、機械で冷やし続ける方式(アクティブ)である。前者は軽くて安く、後者は長距離や荷物の価値が高いときに向く。
今回、両方を改善対象に挙げたことは興味深い。顧客が、価値の高さや距離に応じて方式を選べる状態を目指しているからだ。一方、アクティブ方式の電源や機材は国ごとに規則が違い、航空会社の受け入れ条件も異なる。装置を増やすだけでは解決せず、各国の手続きをそろえる作業が残る。
競合との差は、設備の数ではなく「記録の質」で決まる
UPSやFedEx、Cencora傘下のWorld Courierなども医薬品物流に力を入れており、設備の競争は今後激しくなる。ただ、最終的に差がつくのは、温度の記録をどれだけ細かく、途切れなく残せるかだろう。
規制当局や製薬会社が求めるのは、輸送中ずっと範囲内に収まっていたという証拠である。センサーで温度を常時記録し、逸脱が起きた瞬間に知らせ、代替便を手配できる体制が価値を生む。冷やす力と記録する力の両方がそろって、初めて安心して預けられる物流になる。
ビジネスへの影響
医薬品に限らず、冷やして運ぶ需要は広がる
この動きの影響は製薬会社だけにとどまらない。再生医療の事業者、検査会社、医療機器メーカー、さらに高級食品や化粧品の原料を扱う企業にも波及する。専用設備が増えれば、これまで高嶺の花だった超低温輸送が、中小企業にも手の届く価格に近づく可能性がある。
アジア向けの臨床試験を計画している企業は、試験の拠点選びの段階で、検体や試験薬を運べる体制があるかを確認しておきたい。物流の制約が原因で、試験の開始が数か月遅れる例は珍しくない。
委託先を選ぶときに確かめたい三つの点
第一に、温度が外れたときの対応手順である。連絡が誰に、何分以内に届くのかを契約前に確認する。第二に、記録の形式だ。自社の品質管理や当局への提出に、そのまま使えるかを見ておく。第三に、代替ルートの有無である。台風や空港の混雑で便が止まったとき、別の経路で運べるかが問われる。
なお、投資が発表されても、完成までには数年かかる。計画の時点で供給力を当てにせず、当面は複数の業者に分散して預けるのが堅実だろう。
